経王寺の門
谷中散策はこの寺を掲載するのが一番の目的ともいえます。
個人的にはこの寺と門が素晴らしいと思います。
門の形、大きさ等バランスが取れて美しい、この門の説明文
を読めば、なお一層の愛着が沸いて来ると思います。
近頃は谷中も人気が出てきて訪れる人も多く、年配から若い人まで
それらの人を見込んで、人力車も谷中の名物となっているほどです。
多くの寺を見てきた人たちは、この寺の前に来ても代わり映えもしない
寺の一つぐらいに通り過ぎようとしますが。寺の前の説明文を読む途端。
覚醒したように門を見直すことになります。其処には銃弾の跡が点々と。
上野の山の彰義隊と官軍の戦いで勝敗は決まりこの谷中の経王寺まで逃げ身を隠した
彰義隊士を寺の住職が庇い、追ってきた官軍の兵が閉ざされた門に向かい銃で撃った
弾の跡が点々と門の板を打ち抜いています。時が経過しても歴史の生々しい痕跡が
経王寺のこの門を観る人に語りかけてきます。
この寺の住職も絶対権力を握った、官軍に対し門を閉ざし銃で撃たれても
彰義隊士を庇った寺の住職の人柄が伺え門に愛着を持つ所以です。
| 固定リンク




コメント
右の門、木に霊がやどっているような趣きがあります。怖いほどです。歴史が浮かび上がっているような…。左の写真の門も、屋根瓦や隣の枝垂桜に歴史を感じます。 東京にこんな所があるとは、本当にitioさんと知り合いになれて良かったです。 歴史を知るって奥が深いですね。
投稿: megu | 2006年5月17日 (水) 21時04分
家具の組み立て成功おめでとうございます。
腕を鍛えてきた、賜物ではないでしょうか
英語の先生のほか、何でも出来ますね。
谷中と言う狭い地域にお寺が約40、私はもっと有るような気がしますが。上野谷中辺りで鉄砲の弾の跡があるのはここだけと思っていましたが。車坂の近く輪王寺の門にも弾の跡がありました。広小路口から始まり敗れた彰義隊は西日暮里や鶯谷、と追われ日光街道千住大橋辺りまで亡骸が放置されていたようです。間もなく三社祭が始まります19日から21日迄昔は祭りなど行かなかったのですが。歳のせいか、去年と今年。水戸黄門の世界です。何れお祭り載せますので宜しく。
投稿: itio | 2006年5月17日 (水) 22時52分
こんばんわ♪
やはり江戸は将軍様のお膝元。
彰義隊の方に見方が多いのは納得ですね。
時代が違いますが、大坂では家康より秀吉の方に人気があるのですよ。
それも分かる気がします。
投稿: oko | 2006年5月17日 (水) 23時03分
浪花っ子ならではのご意見それぞれの意見があるからブログは面白い。もしかしてOKOさんは官軍の子孫ではないでしょうか。昔は相当威張っていたんでしょう。それは別としてお互いに同じ武器で戦ったのではないから片方は弓矢相手はライフルでは戦になりません。世界に目を塞ぎ太平を謳歌している間に時代から取り残されてしまいその崩壊していく姿に惹かれます。今も徳川幕府が続いていればOKOさんなど髪は嶋田にパソコン名人は短冊に毛筆でさらさらとやっていたかも。
投稿: itio | 2006年5月18日 (木) 00時47分